チェルノブイリ周辺では,住民がキノコを食べることのないように,地域行政が気をつけています。「キノコを食べるな」とハッキリ呼びかけているのです。でも貧しくて食べ物がないから,山からキノコをとってきて食べざるを得ません。そして事故から25年も経っているのに,その危険は今も消えません。日本のセシウムだけが特別に安全な振る舞いをすることは到底考えられません。
チェルノブイリで苦しんでいる貧しい農家は,自宅で飼っている牛が唯一の家畜であったり,その家畜に汚染された干し草しか与えられないことが多いようです。その牛のミルク
以外に栄養源がなかったりします。そして,医者たちは,できるだけ牛乳やきのこを食べないようにと子供に言って聞かせ,学校でも同様の教育を行っています。場合によっては親が
学校に呼び出されたり,教師が家庭訪問してまで,内部被曝の危険を親に諭しています。
日本では,まったく逆です。汚染地帯の食品を食べて応援。牛乳にセシウムが入っていても,教師や保育士が悪びれることもなく子供に飲ませ,牛乳を拒否する子供を「非国民だ」と晒し上げる。第二次世界大戦中の日本も,きっとこのように精神が荒廃していたのだろうと思いを馳せる。日本人は同じ間違いを繰り返そうとしているように見える。
豊食で栄養価が高い食品があふれる時代,なぜわざわざ牛乳やキノコを食べさせる必要があるのでしょうか。
土壌汚染状況を再三に渡って仙台市や保育所に警告しても,まともに取り合ってもらえません。汚染の事実を認めようともしません。いずれ学校や保育所で,子供が突然死んでしまう自体が起きかねないと思います。でも,みんなを守るのは無理だから,私たちは,だんだんと「うちの子だけが助かれば良い
」という考えになりつつあります。空間線量が問題ではなく,今となっては汚染された土に触れたり,砂埃を吸い込みことによる内部被曝が深刻な危険と思います。

セシウム入りの砂煙の中で行われた運動会。「吸い込んだセシウムは痰として出る」という専門家に要注意。
子供はどうやって痰を吐き出しますか? セシウムは腸で吸収されて体内を巡ります。
学校や保育所は,ほとんどと言って良いほど放射能問題に無関心で,知見がなく,知ろうともしないことが多いようです。内部被曝も外部被曝もごちゃまぜにして,危険を訴える学校はひとつもないといって良い
のではないでしょうか。しかし,私は,自らの立場を顧みず危険を知らせようとしている教職員たちが仙台市内にもたくさんいらっしゃることを知っています。
ところが,自治体は,そうした先生たちの活動を「監視」し,嫌がらせのような「指導」をしています。いずれしっぺ返しが行くでしょう。

懇願しても無関心。国と市の安全神話を信じて止まない保育士と園長とは話し合っても無駄でした。

子供の健康を損ねないよう、あらゆる提案をしましたが、ことごとくはぐらかされました

2011年12月26日、仙台市長に対して直訴状を提出。
たらいまわしを回避するため,仙台市長,保育課長,保育企画係長,児童相談所長,青葉区保健所長,家庭健康課長,危機管理室,最後に広聴課あてに控えを1部。全17頁におよぶ書面を合計8部投下してきた。

2012年1月12日、保育所・学校,給食材料の放射能測定に関する要望書を書いて提出しました。
安全確証のない物をイチかバチかで自分の子供に食べさせることを躊躇します。
業者が安全だと言った,というだけではダメダメな時代になりました。
参考情報
http://blog.livedoor.jp/home_make-toaru/archives/6229607.html
チェリノブイリと比較しないよう単位を変えた政府
チェリノブイリは3万7,000/m2以上の地域が妊婦、子どもの立入禁止地域
追い打ちをかけるように,放射能を心配する親同士の集まりが,放射線のごとくまったくバラバラな考え方で収拾がつかなくなりつつある現状もあります。決意もなく脱原発を唱えながら,圧力がかかったりビビったりすると考えをコロコロ変える
人もいて,「もう勝手にしろ。付き合ってられない」といった感想を持っています。団結して何かをやって行くということは途方も無いことのようです。
このように,原子力災害は何もかも奪ってしまいます。地域の小さいコミュニティでさえぶっ壊してしまうのです。しかしながら、他人の子供のことよりま私たちは家族を守るために,そんな危険が及ばないところへ行って仕事をしたいと考えています。
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