ぬいぐるみ青い森ツアー #5
2025年10月20日 Aomori Blue Forest tourism
#5
ちびさんと乗る弘南鉄道・弘南線
東急東横線のお下がり電車7000系車両
Riding the Konan Railway and Konan Line with Chibi-san
A hand-me-down 7000 series train from the Tokyu Toyoko Line
平川市の平野部に熊が出たことなんてなかったんだけど、つい最近、この付近に熊が出たらしいんだよね・・・ボクらも見つかったら撃たれるのかしら・・・ ここは青森県平川市の旧尾上町エリアです。見渡せば、田んぼ、りんご畑、お花畑、そして老人ホーム・・・
ここは弘南鉄道弘南線の踏切で、電車とリンゴ畑を一緒に撮影できるスポットなんだよ〜
弘南線は「田んぼ電車」、大鰐線は「リンゴ電車」と呼ばれていますが、田んぼ電車が走るエリアの数少ないりんごエリアになります
まるっと大きくなったリンゴ、美味しそう〜
こんなアングルで電車とリンゴ畑を撮影できます
ぐーぐるの地図で見ると、こんなところ になります
VIDEO
ひとつとなりの(津軽尾上駅寄りの)踏切は、今では文化財級の古さを誇る打鐘式の警報遮断器があります〜(音を出して聞いてみてね)
近くには、津軽尾上駅があります
きょうは弘南鉄道に乗って、ちびさんに見せたいものがあります〜
昔はどの駅にもこんな黒板がありました。特に東京都内の駅には必ずと行って良い程、「伝言板」とセットで設置してありました。
津軽尾上駅の近くには、猿賀神社があって、今年の7月にポコさんと一緒にお出かけ しました〜
盛美園は時々、ぬいのみんな様とお出かけすることがあります。ここは宮崎アニメ「借りぐらしのアリエッティ」のモデルになった洋館と言われており、受付には宮崎駿さんのサイン色紙も展示されています。
ちびさんは東京の渋谷にお住まいよね。
この電車は、1965年頃に東急東横線(渋谷〜横浜)を走っていたんだよ〜
7000系のステンレス車両で、東横線を約35年間走った後で、1997年に弘南鉄道へ譲渡され現在も走り続けています〜
運転台から見るとこんな感じ。あ、ここは先ほどの踏切のところだよ
きょうはお天気がイマイチだけど、先ほどまで雲に隠れていた岩木山が見えてきました
ガタンゴトンとすごい揺れます〜
揺れるたびにつり革もゆらゆらして・・・
あ、気づいた? つり革には Fashion Community 109 SHIBUYA
って書いてあるよね。このほかにも、東急車輛・東急不動産・東急デパートなど東急の名残をつり革に見ることができるんです〜
7000系車両は、弘南鉄道のほかに、福島交通(1986年〜)、上田電鉄(2009年〜)、北陸鉄道(1988年〜)、一畑電車(島根・1995年〜)、熊本電鉄(1997年〜)にも譲渡され、今もその姿を見ることができます。
ところが・・・
渋谷109ビルは2018年にロゴマークがリニューアルされましたよね。
しかし当時のニュースを見ると、「2019年に開館40周年を迎えることを記念して行われたもので、開館以来初のロゴ変更になる 」とのこと。
つまり、1979年にイタリックな「109」のロゴができて、それが初代のデザインだと。そうすると、この吊り革にある渦巻きロゴはいったい何だったのか!?
このロゴの正体は・・・ 109さんが教えてくれました
この渦巻きロゴは、公式なものだったにもかかわらず、看板には採用されず、シーズンポスターやノベルティなどに、サブ的な扱いで使用されていたそうです。
現在は、「SHIBUYA 109」というビル名ですが、かつては同じデザインながら「Fashion Community 109 」というビル名にマイナーアップデートが図られていました。そして、1990年頃のいわゆる「バブル期」には、企業が競争力強化やブランド価値向上を目指してコーポレートアイデンティティを加速していて、東急さんとしても正式なロゴ以外にいろいろとお作りになられたもののひとつ・・・ということのようでした。しかしまあ、このロゴは文字通りまぼろしのような存在と言っても良いでしょう。109のまぼろしが全国の地域私鉄で見られるとは、これまたドラマチックなお話でした。
さて電車は、津軽尾上駅から乗って、→尾上総合高校前駅→田んぼアート駅に着きました〜
これは2014年の田んぼアートです。毎年いろいろなテーマで稲の色の違いを利用してアート作品をつくっています。こちらは第2会場で展望台があります(下の写真)。第1会場は田舎館村役場にあり城(役場)の天守閣から眺めることができます
今シーズンの田んぼアートは終了してしまいましたが・・・ あれ? まだ稲刈りしてない!?
というわけで、終点の黒石駅に到着しました〜
東急7000系は、1962(昭和37)〜1969(昭和44)に、144両が製造されました。その頃の日本では先駆的だったオールステンレス製の車体構造で、軽量・防錆・長寿命・整備が容易という設計思想が込められ、半世紀経っても腐食が少なく再利用可能という特徴がありました。
さらに東急電鉄は早くから「自社車両を廃車せず、地方鉄道に譲渡する」方針を明確にしていました。自社グループ内に東急車輛製造(現・総合車両製作所)があり、整備・改造・検査を社内で完結できることから、車両のコンディション管理が非常に良く、中古であっても信頼性が高いものでした。
また、地方鉄道に「安価で高性能な車両を供給することで公共交通を支援する」という企業姿勢があって、「地方鉄道で再び活躍させる」ことを前提に設計・整備した車両と言っても良いようです。
ステンレス車体のため塗装不要・腐食に強いことに加え、部品も東急グループが共通規格化しており、保守が容易だったこと、台車や制御装置も頑丈。電気的にもシンプルな構造で、ワンマン化・冷房改造・片運転台化などが容易で、東急車両では「地方向け改造キット」のような改造メニューが準備されていたとのこと。
そして、東急から譲渡される際の価格が格安で、それは時に実費同然のものでした。地方が導入後も10〜20年は使用可能で、現在も弘南鉄道で活躍しており、地方鉄道の存続に大きく寄与してくれたことになりますね〜
駅からてくてく歩いてきたのは、小見泉という湧水です。鳴海酒造という酒蔵の裏にあり、八甲田山の伏流水だと言われています。津軽地方は湧水が多くて、八甲田山と岩木山と、青森の二大名峰の両方から流れ来るの恵みを受けることができまする〜
昨シーズンの大雪で、古い建物はあちこち傷みが目立ちます。雪の重みで壊れてしまった家が1軒や2軒ではなく、町じゅうにあります。なんだか、ちょっと洒落たデザインのようにも見えますが・・・これはもう、今シーズンも大雪だと派手にぶっ壊れそうです。
こちらもブッ壊れそうな悪寒です。
ここは「こみせ通り」と言いまして、今で言うアーケード商店街です。黒石は交易の町で、海のものと山のものを交換する拠点でいろいろな店がありました。豪雪地帯なのですが、雪の日でも安心してお買い物ができるようにと始まったのが、この「こみせ」です。日本の道100選に選ばれていまして、数年前までガタガタのアスファルトでしたが、大番頭チンが「石畳にでもすればいいのに・・・」と呟いたら、本当にそうなってしまいましたとさ。
オリジナルサイズの写真はこちらから
GooglePhotos https://photos.app.goo.gl/SLVmfJJnD5rK4uHe6
今回の立ち寄り先リストはこちら
GoogleMaps https://maps.app.goo.gl/v1hW5hd8DewafXuw6
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